東京で自然農をはじめよう!

本日13:30から世田谷区立 砧図書館の会議室におきまして、自然農をテーマとした講演会を開催しました。主催は勿論、私たち「世田谷自然農実践倶楽部」です。農園長のゴンジさんに加え、安曇野で自然農を教えていらっしゃる竹内さんを講師としてお招きしました。
せた農の会員のみならず、一般参加も受け付けたところ、大変盛況で、総勢70名程の参加となりました! ちなみに、最年少の参加者は私の長男"たまちゃん"(4ヶ月)です(^-^)

以下、講演内容の抜粋です。

1. 井山ゴンジ農園長 講演「何故、わたしは世田谷区で自然農を行うのか」
(補足)せたがや自然農実践倶楽部の(以下、「せた農」)の主催者

世田谷区は名前の通り、田んぼがあり、谷つまり沢がある。野川や田んぼがある町で、自分の家は代々農家です。秀吉の時代から田んぼに水を引いており、稲刈りの時期には“稲刈り休講”があるほどでした。
ここ“砧”の由来ですが、ここは武蔵の国であり、日本書紀の時代から続いています。砧もそのころからありまして、自分の子供の頃は周りに蚕を飼っている農家がありました。砧とは“衣”を打つ台のことで、お隣の調布も衣に関連する地名です。従いまして、歴史のある場所であり、守っていかねばならない場所です。ところが、ここ世田谷区の農地面積は100haですが、毎年10ヘクタール減っています。つまり、あと10年消滅することになります。理由は農家が継がないからです。そこで、5年前にせたがやの田畑を守るためにせた農を始めました。
お正月に「信頼関係」、「本物」、「気付き」の3つが頭に浮かびました。まず、「本物」でないとやっていけません。次に、「信頼関係」がないといけない、つまり一人では出来ないことに「気付き」ました。
最近、マクロビオティック会では、「自分だけでなく、子ども達や親達とも一緒に健康になりたい。但し、オーガニックはいいと思っていたけど、何か違う。」という声が話題になっています。その答えこそが「自然農」です。自然は嘘をつきません。種を植えるだけ。本物の種ならば作物は育ちます。せた農でも、最初70種類くらい蒔きましたが、ほぼ全滅しました。でも、その中から10種類くらい育ちました。そして、その中から種を取り、これを繰り返すとどんどん種がよくなってきました。だんだん虫に喰われなくなるのです。この話を知り合いの農家に話すと、「お前は何もわかってないなぁ」と言われました。普通の農家にとって、農家は草刈りから始まるのが常識と思っているからです。最初は何も言えませんでしたが、5年目になって、やっとものが言えるようになりました。
さて、今日集まった方、もう私たちは他人じゃないです! 自然農を一緒にやっていきましょう!

(じゅんさん撮影)

2. 竹内孝功さん講演『1部: 自然農ってなあに?』

私の出身は長野ですが、19才大学で上京し、日野市で市民農園をはじめました。きっかけは福岡正信さんの教えを本で学びまして、4大原則、これすごいなと。そこで、畑探したがすぐには見付からず、ようやく市民農園を当選しました。ところが、やり方がどこにも書いていない。1年目、何も育たず。2年目、花は咲いたが、最初は何かわかりませんでしたが、オクラが1つだけ育ちました。種は買った時は着色したエメラルドグリーンの種でしたが、オクラは茶色い種がきれいに詰まって入っていました。それから、自然農をやっていると聞けば、藁をもすがる思いで色んな場所に出向きました。福岡に行った折には、草と間違ってニラを刈ったこともありました(笑)。種は粘土団子にして、至る所に蒔きました。おくら、大根等です。大根はたくさん芽が出たのですが、市民農園では次の週に草が勝手に刈られていました(笑)。
その後、ナチュラルハウスに勤めました。ちょうど「有機JAS認定」が日本で始まった頃です。休みのたびに畑に行きましたが、売っている野菜の中でもピンキリでした。袋に入れておくと溶けている、ものによって溶け方が違う。また、お墓参りに菊の花はドロドロになるのに、トイレにいけておいた花は枯れることに気付きました。作った花と自然の花は違うと。商品は一杯ある、作ったものは一杯あるけど、食べるものがないと思いました。
そこで、自給を考え、就農を決意し、千葉の農家に行きましたが、どうも自分に合わない。自分で色んな作物を全部育てたいのですが、商売を考えるとこれは無理。昼間は農家で研修、夜は家庭教師をし、生計を立てていました。最後の研修先では住み込みで食事付きだったので、家庭教師をせずにすみました。この時に気付いたのは、自分はしゃべることは得意だけど勉強を教えるのは好きではないということ。そこで、教えることと話すことを活かし、家庭菜園を教えることを始めました。自分は誰よりも失敗の経験があり、何故失敗したのかを自分でよくわかっているからです。2006〜2007年に家庭菜園(自然農・自然農法)の講師業と自給自足の生活を開始しました。今、職業をきかれますと、講師やカフェに出す野菜を提案すること、「自然菜園コンサルタント(菜園プラン)」と言っています。

さて、「自然農」と「自然農法」も違いについて説明します。福岡正信さんや岡田茂吉さんが唱えたものが「自然農法」でして、自然農法を実践する中でいろんな農法ができました。EM農法もこの一種です。この頃、川口由一さんが全国で自然農の学習会を実施されており、私は可能な限り出向きました。4大原則「耕さない」、「草と虫を敵としない」、「持ち込まない」、「持ち出さない」。川口さんは奈良の代々続く百姓で、化学肥料で身体を壊したことをきっかけに自然農法を始められました。しかしながら、福岡さんの4原則を守って実施したものの、2年やっても結果が出ない。しまいにはお母さんがノイローゼになったそうです。ところが、2年目まではただ種を蒔いていただけだったのに対し、3年目に苗を“耕さない田んぼ”に植えたら、初めて育ったそうです。そこで、「福岡さんの自然農法に対し、自分は草に負けないくらいになるまで草を刈って手助けをするやり方をしよう。自然農法の“法”を取り、自然の営みをはぐくむ自然農をやっていこうと思ったそうです。田畑の草を全部刈ると虫は野菜を食べます。草を残し、残った野菜を人間がいただく。自然農では種の3粒の内、一粒は鳥に、一粒は虫に、最後の一粒は人間がいただくという考えです。自然農は福岡さんや川口さんやその弟子により、全国にどんどん学びの場が拡がりました。
さて、自然農では三原則があります。まず、「無農薬・無肥料」は当たり前。
(1)耕さず (2)草と虫を敵とせず (3)持ち込まず・持ち出さず の三つです。

最初、「(1)耕さず」を勘違いしていました。正しくは、「耕される様にする」です。種を蒔いて放っておくと、もし種が土地に合っているなら育ちます。が、スイカの原産地はどこかご存知ですか?アフリカです。トマトは?アンデス、雲の上の高地です。今の種は野生ではないですし、仮に南米原産の種を野生に戻しても日本では育ちません。そこで、草を抜くのではなく、刈ってかぶせておく、これで土が保湿されます。そうすると、ミミズは寄ってきます。ミミズは寒い時を除けば一日中耕してくれます。時間は掛かりますが、人間には出来ない耕し方をしてくれます。また、草を刈らずに根を残すことで、根っこが伸びて、これも耕してくれます。野菜が自ら根っこを伸ばして耕されて行く、これが自然耕、つまり「耕される様にする」ことです・
次に「(2)無敵」。これは強いことではなく、敵がいないことです。敵にすると敵が増えますし、敵の敵は味方です。害虫だけが存在するから野菜が食べられるのです。ゴミ虫と呼ばれる虫がいますが、ゴミ虫は夜中に夜盗虫を食べてくれます。これは多様性が生まれているのです。実際に畑の中を調査すると、害虫は5%、益虫は5%、残りの90%は“ただの虫”です。だけど、これがいないと食物連鎖が崩れるのです。
三つ目ですが、最初に出来たおくら、種が36倍に増えました。現在、種はほとんど外国製です。おくらですが、たくさん蒔いて一つだけ残ったのは、それだけがその土地に適用できたからです。15センチしか伸びなかったのですが、後々わかったことは伸びる必要がなかったですね。例えば、とうもろこしは化学肥料を使うと簡単に抜けます。これは根っこが発達しないからです。化学肥料を使わないとなかなか抜けません。作物は茎が地上にのびる分、根っ子も同じだけ伸びます。

3. 竹内孝功さん講演『2部:都会ではじめる自然農』

何故、都会で自然農を始めることが難しいのか? その理由、実態は私が10数年前に日野市で市民農園をはじめた時とあまり変わっていません。但し、こうすれば失敗する、あるいは駄目な理由がわかっていれば、失敗を防ぐことが出来ます。何せ、自分ほど失敗した人間はいませんから。
(1)農地が見つからない、とりわけ自然農を出来る農地は余計に見つからない。
(2)市民農園は規則が合わない。また、期間1〜2年と、長く続けられない。
去年と野菜がかぶることが多く、連作障害を受け、無農薬栽培そのものが難しい。
(3)やり方がわからない。但し、私が自然農を始めた頃と違い今はたくさん本があり、情報が多いです。
が、自然農を説明した本は“透明な文字が多い”、つまり、文字で書いてない条件があります。行間を読む必要があります。一通り読むだけではわかったつもりなだけです。

ここで、無農薬かそうでないかについて説明します。お味噌汁を作ることに例えると、化学調味料はいつ投入しても味は同じです。しかしながら、有機栽培では堆肥入れるタイミングがあります。順番や量を入れ間違えると駄目です。要は畑が今、どの状態にあるのか?を把握する必要があります。
今度は自然農の三つの宝について説明します。川口さんはなぜ全て説明してくれないのかなぁ?と思ったことがありましたが、これは私たちが聞いていないだけなのです。
1つ目ですが、川口さんは代々続く百姓ですから、わざわざ書いていないことが多いです。「熟畑」について、川口さんの場合、元々は化学肥料を投入していた田畑でした。草も生えないような畑はやりづらいのです。まず、畑の状態が今どのような状態なのか?を把握することです。
2つ目は、「栽培」+「自然の営み」です。栽培の知識と併せて、肌で感じ、調整しているのです。
3つ目は自家採取です。自分のところで採取していると種自体が学んでいるのです。
3つの宝を“透明な文字”で理解していると、自然農はやりやすくなります。


(じゅんさん撮影)